てふてふちゃん

なんか猫が寝言を言ってます

Anniversary Year

最近某青い鳥アプリで「#いいねの数だけ一年を振り返る」みたいなタグ流行ってるじゃないですか、あれ無茶だと思うんですよ。私の一年間は連続体であって易々と月単位で区切れるもんじゃないし、ひいては去年から脈々と続いてる訳です。確かに「○月×日に誰々とディズニーランドに行った」という事象はその月に起きてるけど、私の喜怒哀楽や思考の変容は簡単にそんな140文字で語られてたまるかよって2018年12月さんとかも思ってると思います。

 

でもあのタグやりたさもあって、同時に私はすごく文章を書くことが好きだった。だからいつか未来の自分が見返した時に過去の自分と遭遇できるように、きっと後から振り返って眩い思い出として対峙するであろうこの一年のことを形として残しておきたいと思いました。

その前に、自分にとってあんなにエモい年だった2017年は今やもう「懐かしい」対象へと変わってしまい、数年後には思い出せなくなってしまうかもしれないけれど、それでも去年という一年が私に及ぼしたものは計り知れないのでしばし大切な浪人時代を供養させてください。

 

*去年の私に関してはTwitterで存在を知ってくれていた人もいたと思います。あと実はかつて別のところでブログを書いたことがあって、同クラも2人ほど彼らが現役生だった頃に不合格体験記を読んでくれていたようです。謝謝。

あと、最近なんか東大生が書く受験に対する目線のブログがよくバズってるように思いますが、私は私が感じていたことを丁寧に残しておきたいと思っただけで受験に対して何か物申したいみたいな感情は皆無です。寧ろトータルで見たら幸せな環境だったと思っているので、そんな感情毛頭ないです。おばあちゃんがなんか昔話してんな、くらいの感覚でお付き合い頂けたら嬉しいです。

 

2016年について

きっと夢見るアドレセンスだったのでしょう。

 

結構KAT-TUNもびっくりの「ギリギリでいつも生きていたいからぁ〜」精神はあるので、小6の夏はDSの「大人の脳トレ」の細菌撲滅ゲームに精を出してクラスを落としたり(好きなことには熱中するタイプなので何十面まで攻略したことか)中3冬に手に入れたiPhoneで遊びすぎて成績が地盤沈下したこともありましたが、そもそも15-7の計算が出来なくて障害物競走で最下位になった小学生の頃から、なまじ中学受験もそれ以降の学校生活もなんとか箸だか棒だか引っかかってきたので「自分は最終的になんとかなるセンスがあるんじゃないか」なんて驕り、正直心の奥底であったんだろうなと。

 

でも今思い返すとあんまり記憶が残っていないあたり、たぶん順当に受験生をやってたのでしょう。で、模試も上手くいかないことは多かったけどセンターも9割で「ああやっぱ最後には帳尻を合わせられる人間かな」と確信して堂々と駒場の正門をくぐり、数学であっさりと沈没しました。タイタニック号も顔負けです。2日目の入試の後、高校同期と道玄坂のガストで死んだ目で例年の合格最低点をggり、その後合流した親と行った焼肉はナムルしか喉を通りませんでした。

「でもハッピーエンドを描けるだろう」と胃は痛むものの期待のこもった2週間を送った後、私の仄かな思いは敢えなく打ち砕かれました。エンダァァイヤァ I always love u...343.7点。文Ⅱに数点届きませんでした。(数学が29点だったんですね。あばばばばば。)

 

ここで一つ得た気付きは、どうやら人間は本当に辛い時はすぐに事実を咀嚼できないものらしい。

合格発表の夜、「いや〜今年はTOEICとか受けながらやっていきたいなあ*」と絞り出して親に「本当に悔しいならそういうこと言えないだろっ」と怒られたけど実感は湧かず、翌日とりあえず勉強するかと机に向かった時に初めてボロボロ涙が出てきましたね。

え、まじか。また今年も勉強するのか。

 

*TOEICは去年も今年もまだ受けてません、すみません、勉強します(迫真)

 

恵まれた環境下で一つの「負け」を認めること、所詮自分は「持っている」人間ではないのだと認識すること、私のように難儀する人も決して少なくはないのではないだろうか。

晴れて大学生になった(特に東大生になった)友達と自分のコントラストを思う度、段々とかつて周りにいた人たちと世界が隔たっていくことを認識する度、夏前くらいまで幾度となく身を切られる思いがしたのを克明に覚えています。水族館でガラス越しに魚たちを眺めることはできても、そのガラスの向こうに行くことはできないのだと。

小学校の徒競走でゴール直前で1位だと思って万歳してゴールしたら最後の最後で抜かされた、あのこっぱずかしい経験(いや、ほんとに恥ずかしいんですよあれ)から何ひとつ変わっていない。あと数点は確実に自分の中で足りなかったもの何かの現れなのではないかと。こんな感じで忸怩たる病みと共に私は予備校の門戸を叩くこととなりました。足取りが重かった、瞼が重かった。

 

2017年春

そんなこんなで私は「建物が綺麗だから」「模試は駿台より好きだから」というだけ理由で河合本郷の東大文類アドバンスコースに入りました。実際いい環境でした。

 

予備校、最初は怖かったですねえ。

余談ですが、私が中高を通して好きだったところは大多数の人はいい意味で他人に関心がないのでストレスが少なかったことです。それが予備校に行ったら男子校、女子校、共学、学校の色もバラバラな人たちが集って、女の子は化粧やら何やら上手い子が多い、知らない間にくっついたり離れてたり、なんだか内部対立しかけのクラスもある。

世間とかいうところ、恐ろしくて出られん(田舎っぺボイス)

 

この頃は最初のマーク模試で爆死してメンタルが壊れたり、予備校の空気に慣れるのに必死だし、Twitterのタイムラインを見てたらみんなが「ALESA辛い*」だのなんだの知らない話をしていて鬱になったり、第一次拗らせ期だったと思います。 

でも仕方なくないですか??よく「頑張ってるのに報われない」っていうけど、だって自分が結果を出さなければ認められない世界で結果を出すことを決意したんだからそれなら頑張り方を考えるしかないんですよ。どんなに足掻いても時間の進み方は変わらなくて、2017年春夏秋冬は受験生として過ごすしかないのです。

それからというもの、受験勉強というものが育成ゲームのように思えて段々と愛おしく感じるようになりました。毎日予定を切り刻んで、何を使ってどうコスパよく成績を上げていくか。成績や生活が落ち着いてくるに伴って精神も段々と落ち着いてきました。病気〜!(cv. IKKO)

 

*浪人してよかったこと〜!よく5月頃「大学がつまらない」とか諸々の不満を見かけたものですが、大学生のツイートを見ていたことで大学という未知なるものに過度な期待は抱かなかったこと。大学の授業は必ずしも面白いものとは限らないらしいetc.、予めわかっていることは容易に対応できたし、それ以外の部分に楽しみを見出せたのはサンプルがあったから。ちなみにALESAは指定文字数だけ英語を書けば単位が来ると考えればそんなに辛くなかったと思っている。

 

この頃、一つの契機として五月祭に行ったことが挙げられます。見知った顔を見かけることで自分のメンタルの持ちようがどうなるか不安だったのですが、結果として行ってよかったと思います。ご馳走してくれた皆さん、Grazie!

模試の第一志望の欄に初めて「東京大学文科一類」と書いたのはこの翌日の記述模試のことでした。*

*これは単純に「文Ⅱに振られたから来年は文Ⅰと付き合いたい」というだけの思考で、「文Ⅰに行って脱法する」込みの目標でした。脱法するかはわからないけど、法律に関する職に携わるつもりは今のところありません。

 

2017年夏

突然ですが、私の嫌いなものに暑さと満員電車、同じ場所で長い時間缶詰になることが挙げられます。これが合わさった夏は最悪です。ということでしばしば、朝は朝日に感謝して目覚め、途中で満員電車を抜け出して麻布十番のマックでコーヒーと共に勉強し、昼は日常に感謝して予備校に行き、夜は一日に感謝して寝床につく生活を送ったりもしました。

 

暑い夏、不思議と苦ではなかったです。夏になって益々旅行とか遊びに精を出す大学生が羨ましくて死にそうで、でも模試の前に仲の良かった女の子たちとラウンジで将来の話を真剣に語り合ったり、高校同期と下北沢にかき氷を食べに行ったり、海を見に行ったり、私は私なりの夏を送りました。オープンはスコーン!と外したものの、実戦では英語が100点近く取れましたし、前期のスカラシップ対象者にもなりました。

 

スカラシップに関しては、実際そんなに感動するほどの額が返ってくる訳ではありません。ただ、投資をしてくれている親に対して何かしらのリターンが出来ることが嬉しかった。地方公立から塾通いをほとんどせず東大に来る人も一定数はいる中で、私のような人はかなり多いとはいえ、中学受験で一応塾に通い私立中高一貫校に入り鉄緑会に通い予備校にも通うというのは費用対効果を考えると燃費は悪いというのはこちらとて重々承知しているので。

決して器用な人間でも能力が高い訳でもないけれど、私はここに来たいと思って投資してもらって、だからこそリターンがしたかったからここに来るしかなかったとも言えます。

 

こうして成績もメンタルも安定していったような錯覚を覚えていました。

 

2017年秋

そもそも夏だとか秋だとかそういう区切りで何か変化があった訳ではなく、正直うまい接続詞が見つからんのですが、いずれにせよ一番秋が辛くて同時に幸せだった。そもそも「辛い」とか「幸せ」とか棒があるかないかの違いなのである意味紙一重なんじゃないかしら。

 

段々寒くなってきました。突然ですが、私が浪人生になった時に一つ決めていたのは「絶対恋愛しない」ということでした。

あくまでこれは一年の目標は東大に合格することだと思った以上、もし落ちた時に直接的な原因ではないにせよちらっとでも脳裏を掠めるならそんなポテンシャルのある要因は予め取り除いた方が合理的だと「私は」判断したからです。

まあ実際はオシャレもメイクも頑張るつもりがなかったので、ひたすら教室前方左側に張り付くお芋さん以上でも以下の存在でもなかったのですが(震え声)

 

でも寒くなってきたら人肌恋しくなりますよね。予備校にも「あれ?」みたいな二人組(別名カップルともいう)がなんだか増えた気がする訳です。高校の文化祭に行ったら大学生の恋愛事情なんか聞いちゃって、あーみんな自分より先に進んでくんだなとか、楽しそうに友達は意中の男の子と二人で帰ったりしてる中でなんで孤独に勉強してひとりで帰ってるんだろう自分は、とか。

今思うとくだらなくて笑えるんですけど、でもメンタルってそうやってひとつボタンを掛け違えることで狂ってくもんだと私は思っているのであんまり笑わないであげて欲しいです。

 

孤独で死にそうなんて地下牢(地下自習室ともいう)で音楽を聴きながらボロボロ泣けてきたり(今の私しか知らない人からしたらこの頃毎日泣きながら勉強してたなんて思わないだろうけど)、「とりあえず勉強で頭をいっぱいにしよう」と1日14時間勉強したり、「自分は幸せなんだ」って思い込むために、日曜早退けして羽田に飛行機を見に行ったり、美術館に行ったり、美味しいものを食べて帰ったりしました。休憩に音楽を聴いて延々と考え事をしてラクーアを周回したり。

すごく誰かに認めて欲しくて、でも自分自身にしかできないことだともわかっていて、そしてそれはしないと自分が決めたことだった。だからまたオープンは爆ぜても実戦であんなに芽の出なかった数学で全国10位を取ったことで惨めだった秋が救われた気分になりました。駿茶から水道橋まで坂を降りていた時のうららかな秋の日差しと脳内を流れる賛美歌はこびりついて忘れない思い出。アーメン。

 

こんな風に外に出るのも億劫な冷たい風に吹かれ、予備校の授業も終わっていく頃、私のドン底のメンタルは凍えそうな外の寒さと対照的にトンネルの先の光に向かって駆けていきました。イルミネーションもよく予備校帰りにふらっと途中下車して見に行きましたね〜。

 

2018年冬

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年明けに行った湯島天神は絵馬に描いた「センター利用で私立合格」を一切叶えてはくれませんでしたし、なんなら浪人しても私のセンターの点数は現役の頃と一切変わらない、清々しい安心安全の808点でした。

うーんでもなんだろう。私はそれでもいいと思ったし、毎日の中にいきなり「入試本番」とかいうそびえ立つ高い壁が出現するのではなく、毎日の延長上に入試があるのだと思っていたのでこの事実は単に「入試本番という名の演習教材でちょっとミスった」くらいの擦りしかありませんでした。流石に代々木のタリーズで自己採点しながら真顔になりましたけど。

 

二次試験まで概ね毎日数学と英語のセットを解き、なんなら慶應商学部と経済学部の2月13日・14日の試験の連チャンの間も、休み時間は散歩魔を発揮してまいばすけっと(はぁ〜すこです)に買い物に行きつつせっせと試験会場で東大の赤本を広げました。イキってた訳じゃないです。

別に入試本番だって特別なことをしに行く訳じゃない。いつもと同じセット演習を今日は違う場所でやるだけだって感覚を醸成したかったから、私は毎日同じルーティーンを他大の入試の日も組みました。あー終わりが近いなって終点を意識する度、出会う問題が、向き合う日々がたまらなく愛おしくて一番幸せな時間だったと胸を張って言えます。

 

そうして私は2月25日・26日の両日ともに東大駒場キャンパスに”いつもと同じように””東大型セット”を解きに来て、休み時間は当時ハマっていた将棋をやって「あ、ちょっと緊張してんな」なんて言ってコンビニで買ってきたパンダもちを呑気に写真に撮ってパクついて、英語が終わった瞬間に安堵と共に「浪人生」という看板を下ろしました。閉店ガラガラー。

英語ができたとかできなかったとか関係なく(G2ライン+1点という並の点でした)やれることはやったので何とかなるだろうと、本当に英語が終わった瞬間の開放感は何事にも代えがたく、自己採点はせずに前日はカラオケでレミオロメンの「3月9日」を熱唱し、3月10日を迎えました。

当日はネットで見ていたのですがちょっと今年は番号が出るのが早くて11時45分くらいにいきなり出てきて(語彙ry)番号を最初勘違いしてて焦りました。(これだから浪人は)

でも番号がちゃんと見つかっても、高校の先生や祖父母に電話しても、河合本郷で写真撮影をしても、本郷キャンパスに行っても、あまり実感が湧きませんでしたねえ。Twitterで合格ツイートが1000ふぁぼも来たのはちょっとビックリして知らない人からも祝われた!と内心喜んだりはしましたが。

ひと段落ついて手続きで「東京大学」の文字が刻印されたパンフレットをドサドサもらって、二外はイタ語にしようかなとほのぼの考えてた時にようやく大学生になれるんだなと胸いっぱいに感激が広がりました。おわり。

 

さいごに

ここまで読んでくれた方は相当な物好きだと思いますが、物好きの方ならきっとお感じの通り、模試がどうだとかどれくらい勉強したかとかなるべく記述を避けてきました。

あまりにも冗長になってしまうことを危惧したのと、どれくらい勉強したかなんてそんな努力は自分だけがわかっていたらもう十分です。十分だと思うし、自分自身がそれに静謐な誇りを抱いているのでここに記すことはありません。

楽しい記憶をいっぱい洗い出しましたが、その裏には地道な日々がありました。メカのパフォーマンスの裏でコードを書くのと同じです。結構ON/OFFの切り替えや自分のメンタル管理は非常に去年一年で上手くなったと思います。

 

そして、月並みに聞こえますが感謝してもし足りない人たちにたくさん出会えました。きこえますか...第一にサポートしてくれた両親、予備校で共に切磋琢磨した友達(女の子もだし、お芋さんでしたが大事な男友達もちゃんとできました!)、礫川公園で寒空の下語り合った友達、離れていても応援してくれた友達、教材を渡しに来てくれた人etc. 皆に出会えて私は幸せでした。

浪人時代に知り合った友人はやっぱり戦友のような特別な感慨を伴って思い出されますね。鮮やかに。

 

で、本当はもっとくどいとんこつ味に仕上げたかったのですが、結果としてあっさり塩味ベースになりました。(そうなんです!)

うん、これも同じ理由で私がどれくらい「幸せってなんだろう」とか「どうして報われないんだろう」とか取り止めもないことを考え、悩み、この一年を愛おしんだかとか、一週間の締めに食べるアイスが美味しかったかとか、日の差し込むスカイラウンジでポカポカするのが気持ちよかったかとか、きっと私にしかわからないし、わからなくていいかな〜なんて書きながら思っていました。当時は辛いけど振り返るとこんなにいい思い出になる、すんごく人生において何物にも代えがたいモラトリアムの一年でしたよ。浪人はいいぞ〜なんつって。

 

何はともあれここに今の私は爆誕し、晴れて東大生になりました。一年間の眠りを経てお誕生日おめでとうございます。