てふてふちゃん

なんか猫が寝言を言ってます

春はあけぼの。

今上天皇は85歳で車のハンドルを手離されたようだけど、私はまだ免許をいつ取るかすら決めてません。こないだ社会人の方のお話で「まず日にちを決める。やるかやらないかを延々と考えている人はいつまでも行動しない。」と。そんなの当たり前なんだけど真ですね。虚を衝かれた思いです。質のいい人と出会える経験が踏めるというのはひとつ東大に来てよかったことです。

冒頭から薄っぺらい感想文でごめんなさい。2018年、皆さんは結構生きましたか?私は40%くらい生きたかなって感じです。気怠い話にお付き合い頂ける方は、眠れぬ夜の睡眠導入剤の代わりにして頂いた方がいいかもしれない。

 

春はあけぼの。

 キャンプラの場所をパンフレットの地図を読みながら探り探り見つけていた頃、懐かしい。目に映るものが鮮やかに見えていたので食堂のメニューがホテルビュッフェのような特別感を伴っていたあの頃です!私だけ?すみません、でも豚みそ焼肉丼と豚汁でブウブウ(ブイブイ)いわせるのも粋ってもんです。

......。

ただ完全に新鮮だったかというと必ずしも答えはYesではなく、というのも東大生の知り合いに聞いていた情報の追体験的要素は大きかったですね。かの逆評定ってこれか(ハリポタの"名前を言ってはいけないあの人"ボイス)、オリ合宿ってこれか、みたいな。WARRIORSのお兄さん方には駒場の裏のフレッシュネスバーガーに連れていって頂きましたがお元気ですか。あそこは財源がすごいな。

 

クラスについて

「楽単で楽しくてウェイすぎない言語」と友達の話を総合した結果、私は浪人生の頃からイタリア語にすると決めており、マイナー言語ゆえ自動的に文1,2_6組に配属されました。

 

クラス、皆さん楽しいですか?私は結構クラスの人たち好きです。これは彼らが読んでいることを恐れておべっか言ってる訳ではないです。まあ他クラスで盛り上がるようなクラコンやクリパは投票があまり入らない。私はクラスラインの投票機能を使う際の痛切な心の痛みをもって、他のコミュニティで投票が投げられたら必ず入れることを数少ない信条としています。やっぱり人間は経験しないとわからないこと、沢山あると思います(訳知り顔)

...脱線しました。ただ「全体」としての集まりは悪いが、個々に声をかけると必ず人は集まる。繋がり方が水素結合のように緩やかで、ある意味中高時代のような居心地の良さも覚えます。面白い人も実際多いです。降り長と化すオリ長、「死ぬの怖い?」が挨拶がわりの人、一食で雀卓広げる麻雀界隈、授業にいらっしゃらないのにたまに来る時最前に座るスポ愛○長様、ビジネススクールに傾倒し学校にいらっしゃらなくなった概念と化した人etc.

 

たまに「クラスなんてたった一年の付き合い」みたいな言い方をする人見かけますが、人間関係を一緒に過ごす時間が全てと思っているのだろうか。私はある種立体のようなものだと、つまり密度や奥行きも掛け合わさって中身は決まるのだと思ってやまない。完全体として愛することはできなくても、それでも私の1年を彩る存在として欠かすことのできないコミュニティです。是非受験生は下クラを真剣に検討してみて下さい。

 

そうそう。ここに溶け込むことができたのは高校同期や浪人の頃クラスが一緒だった友達がいたことが大きいですね。私は初対面や数回目の空間で喋れるかどうかは①人見知りを発揮する/しない雰囲気②関わりへの自分の潜在的な意思の強さのトータルに依存すると思っていて、その限りでオリ合宿で起きていた人たちで朝日を拝んだ時くらいからかなり帰属意識はありましたね。

 

オリ合宿に関して語りたいこと。パ長になったこと。これは単純にお店を選びたかっただけです。あと夜更かし魔のくせしてこれまで魔剤を飲んだことも完徹をしたこともなく、朝日を拝んで部屋に戻ると猛烈に眠気が襲って来まして、私と同名の女子が「徹夜明けは仮眠取らない方が気分ええで」と忠告をしてくれました。数秒後にご自身が入眠なさっていました。可愛いね。来年はみんな上クラとして夜明けは浜辺に行こうね。

 

こんな感じで大学はスタートしました。最初の2-3週間は四月病だったので本当に目を輝かせて授業に通っていました。朝は1限に遅れることはなかったので「法Ⅰは出なくなる」の意味がわからなかった。政治Ⅰはわからないが故に「大学の講義」感が好きだった。イタリア語は「Y」の読みが「イプスィロン」なのがジェネリック医薬品の名称みたいで好きだった。

ひとりごとを言うなら、ALESAは私のクラスの先生は優しかったので英語を指定語数だけ書けば単位が来たと思うと決してきつくはなかった。もちろん先生が厳しいクラスもあるので大声で言うつもりはないけれど、「ALESA辛い」「初ゼミ辛い」とは思わなかったと言う権利くらいはあってもいいかな。しかし高校の頃は毎日6時台に起きて学校に通っていたのに、予備校で「授業を切る」と言う概念を知り、大学は四月病が明けると...夢ならばどれほどよかったでしょう(cv. 米津玄師)

 

サークルについて

結構新歓行ったんですよね。週に何回も知らない飲食店で「どこのクラス?」「言語は何?」「女子はクラスに何人?」を定型文としてテンプレートのように発し、ひょっとしたらもう会わないかもしれない子とLINEを交換する新歓。嫌いじゃないけどあの時期の口と心の疲弊はなかなかに大きかったというのが実情ではないでしょうか。結構行ったけれど結局私は「体を動かしたい」一択で学内のバドミントンサークルにだけ入りました。

 

みんなはサークルをどう位置付けますか?つくづく感じているのは、私は中高時代は文化部の部長だったけれど特に忙しくもなく、土日や平日の夜はバイトなどに侵食されず好きなように過ごしたい、となるとこのくらいのウェイトが性に合っているのかもしれないなと。と同時に私には確かに友達がいる。けれど、兼サーしている子は特にサークルでどんどんコミュニティを拡大していくことへの若干の焦燥感と寂しさ、「誰かと何かを創る」「身を焦がす」といった経験への恋い焦がれが今になって膨張しています。結局私がひとつしか入らなかったのは、「ここじゃない」と思った時に抜けるという引き際を見つけるのが自分自身苦手だと自負していたこと、「好きだけど得意とは胸を張って言えない」という分野に突っ込むことを恐れた、それだけのためだったので。

 

ちなみに他のコミュニティも求めている人は駒場祭のパンフレットでも見てみることを推奨します。「こんなサークルあるの?」みたいな団体ザラにあるし、気になったらTwitterのアカウントなど検索かけて凸ってみよう。私は今入っているところの他にオルガンなり天文なりに興味を持ちました。確かに年中新歓を行なっている団体は少ないかもしれないけれど、門戸を叩けば開くところは存在するし、何かを始まるのに「遅すぎる」と言うことは邪道だと思うの。

 

*もしこれを読んでいて「うちのサークル面白いよ!」みたいなところがあれば是非ご一報ください。

 

高校の文化祭は模擬店すらほぼ禁じ手のような楽しいけれど「文化祭」ではないおまつりだったので、五月祭はクラスでワッフルを販売し、テント張りをした前日の夜なんか青春を焼き直したような感慨を覚えたものでした。学食に同クラと座ることは無限に楽しかった。空きコマにカラオケに行くフットワークの軽さに「大学生」めいた何かを感じて高揚した。あ、そう言えば「GWが明けたら」「五月祭が終わったら」「6月に入ったら」と言われ続け、結局人が学食から人が減ることはあったようななかったような...(消えゆく声)

 

こうして私は東京大学に徐々に溶け込み、7月に入りセミがミンミンなく頃ようやく去年友達が言っていた「駒場図書館は暑い」の真の意味を理解し、テストもかき集めたシケプリと法・政治のシケ対という自負をもって乗り切りました。春はせいぜいコミュ力に対する耐性が若干ついたくらいで精神的に得たものは少なかった...ただただ無心に駒場の風景と出会った人間を愛おしんでいたくらいでしょうか。

 

進振りについて

春にこの大学の正門をくぐった時には「理転するぞおお」なんて意気込んでいました。いや、行きたい進学先明確に浮かんでなかったけど!自分の将来が不透明だからこそなるべく進振りで有利になるように文Ⅰに来た面も否めなかったので、「なんかビッグなことしたい」とか三月病発症していました。でも具体的には私は都市の景観に関心があったので社基Cとか面白そうとは思っていました...ただ点が足りな(ry

現状としては、Aセメから法学部内定した高校同期と法学部の経済学基礎の授業に潜ったところ、「さして経済で数字を扱うのは好きではない」という気付きからその選択肢はほぼ消えかけ、後述する自分の現状との関連でシス創Cなど関心があることはあるが果たしていわゆる「理系」に進むことで自分が頭角を示せることはほぼないのではないかという思いから、なんだかんだ法学部に進むのが丸い気がしています。

 

大学に入って始めたこと

第一に語るならバイトですかね。軸となっているのは個別指導、それに家庭教師やら何やらをしたことがあるという感じ。私の基本マインドとして予定は空いていれば断らず入れる、「お金がない時は遊べない」というより「お金がないなら生めばいいじゃない」という現代に生きるマリーアントワネットなもので、夏に旅行やらご飯やらに行きまくるために結構バイトしました。

ちなみに、よく「お金が欲しい」と言う東大生は、家庭教師や塾講といった教育系バイトの他に陽の当たらなそうなバイトや虚無そうな単発バイトのサイトを覗いてみると社会がいかに思った以上に人力で動いているか肌身で感じるのではないかとも思っている。人間はきっとドン底の状態でも何らかの蜘蛛の糸を見つける能力があれば這い上がって来れるんじゃないかしら。

とはいえ私は上で述べたように平日の夜や土日がバイトに侵食されるのが好きでないので、ひとつ今現在バイト同様にお金が入ることとして、Aセメの頭の履修登録で作りこんだ力作の週2の午前休と週1の午後休でインターンをしています。これは私なりの生存戦略の一つです。

 

あとはデータサイエンスとか。

文系で優秀な人は山ほどいますが私は凡庸な方だと自認しており、何か人と違う武器が欲しいと思い、"とりあえず"Progateに課金してPythonやHTML&CSSを独学で学習し始めました。特にプログラミングで何がしたいとかはなくこの時点では手段を目的と履き違えた自己満足でしたが、「とりあえず始めること」は何かを手繰り寄せることが時にあると感じます。これについては後述します。

 

留学について。入った当初から国外との繋がりというものに仄かな憧れはあったので、国際系サークルの合同新歓や東大留学フェアに顔を出したり、シラバスの国際研修のページを熟読したりIELTSの受験を考えたりしたのですが、半分しっくり来ず半分決断できずに今に至るという感じ。数週間のサマープロジェクトくらいでも行ってみたらいいのに。決められない人間はいつまでも決められないと思うので、これについてもいずれのタイミングでいつ行くのかを決めないと棒に振ることにはなるでしょう。

 

夏は夜。

すごく幸せでしたね。「幸せ」を測る基準は人によって違うと思いますが、私の定義のひとつとしては"やるべきこと"と"やりたいこと"のバランスが黄金比に近い状態であることを指します。

 

とにかく色んな人...大学の友達、高校同期、浪人の頃の友達、小学校の友達、 ありとあらゆる人と旧交を温めました。殊に最近思うのが、人間関係の「断捨離」って言葉がありますが、本当に必要な縁は必ず再び巡ってくるのではないかと。人間ってどこで人生が交錯するかわからない、必要になるかわからない、だからこそ沢山の縁は財産として持っておくことは計算であっても心の問題であっても大切なんじゃないかなあ。

あと旅行ですね。清里、岐阜、名古屋、金沢、福島、日光...場所自体は日本すら離れていないのですが、「自分の稼いだお金で自分の届く世界を拡張している」というプラネタリウムの天球に手を伸ばす時のような実感を伴うものでした。

 

と同時に、まずは空白の1年間によって完全に失われてしまった読書習慣を取り戻すべく、しっかり本を読むようになりました。本を読んでいる時は他のことに意識が向かなくなるので自分の時間の使い方として好きですね。あと美術や写真といった分野には前から関心があり、展覧会などもリサーチをかけるようになりました。

そして前述の通り春以降、訳もわからずPythonをやってましたが、東大や早慶東工大の人なんかが集う団体で機械学習など流行りのデータサイエンスをやる機会に恵まれました。遊ぶ合間に時間を縫って教材の勉強をしたり、Qiitaに記事を投稿したり、Kaggleをやったり、なんかあの「パラメータを弄ったり学習方法を変えていかに精度を上げるか」みたいな頭脳戦感が好きです(小並感)

ここで2ヶ月やって「データサイエンスは好きだけど、AtCoderとか競プロの類は向いてないし進むべきではない」という選択肢の切り捨てをし、前者でコードを書けるところでインターンを始めました。が、この道の取捨選択に関してはまた書きたいと思っています。

 

いずれにせよ春は穏やかかつ新鮮に、夏は眩しく過ぎていきました。読み返してあまり面白くないのが率直な感想ですが、この時期は昨年のように「人生とは何か」など自分の中で思考することが減り、ただただ無心に目の前のことを享受していたからでしょう。やっぱり話が長すぎるのは自分の欠点ですね、秋以降のことは年内に記したいと思っています(願望)(悲願)