てふてふちゃん

なんか猫が寝言を言ってます

幸せになるための実践的方法論Ⅰ

段々と暖かくなり梅や桜の蕾が日常に彩りを添える様を見ていると、春という季節は私にとっていつの年も、理不尽さを孕んだ現実を吹き飛ばすような魔力を持っているように思います。まあ花粉症じゃないのも大きいと思いますけど!←多方面に突然売られるケンカ

 

世の中には死について考えることが好きな人がいたりとありとあらゆることが考えつくされていますが、私は常々幸せについて考えることが多いです。新興宗教じゃないですよ(念押し)私は文学なり哲学には学問的にはさして関心はないので、あくまで体験ベースで20年間生きてきた一つの自分の価値観として幸せになるための方法を残しておこうと思います。

自分の力ではどう足掻いても手に入れられないもの、変えられない現状に対してどうにもならない負の感情に囚われている時、不幸な自分の境遇を嘆くよりそれから自由になる方がよっぽど合理的です。悲しいかな、私たちには時間がありません。自分と向き合い適切な方法で少しずつ幸せになろうとすることは同時に限りある自分を大切にすることです。

 

これは一番実践すべき時こそ頭から抜けがちな自分に対する戒めとしての備忘録、ないし大学一年生の自分に対するレクイエムとして捧げようと思います。

 

・自分の感情を認める

たとえばの話、容姿って先天的な不平等の中でかなり大きな部類に入ると思っている。ミスコンとか美女図鑑とかに出ている人、眩しすぎますよね。顔がいい人だって努力してるけれど顔に自信のない人が同じ水準に達するには比類のない時間や資本が必要だと思ったり、「○大のミス、××のキャバクラで働いてたw」とか友達とのサシ飲みで聞くとまじーwとか笑ったり。当方性格が悪いな。

でもここで粗探しをしてリプを送るクソリパーになるのは絶対に違う。その感情から自由になるというのは自分と対峙することであり、臭いものに蓋をして見て見ぬふりをすることではない。その成れの果てはただの拗らせです。

大学受験だってそうですね。行きたかった大学に及ばず不合格を食らって浪人することになった時、新生活がスタートする高校同期を見て言葉にならない感情がいっぱい込み上げると思います。でもいかに前年度の模試が良かろうとその事実を認めるところから新しい一年は始まるのだと。

人が持つものを羨ましいと思うのは当たり前の感情で、ただそれを持つ人を僻んで攻撃することは不合理なことです。まずはその渦巻く不快な自分の感情を認めること、その上でその領域で劣らない努力をしつつ自分の相対的に勝てる分野を見つけること、このステップこそが自分の醜い感情から少なからず自由になることだと考えています。

 

そこそこ前に読んだ記事がありえんいいなと思ったので、ぜひみんなにも読んでみてほしい。

「自分を認める」とは、自分の精神解体ショーをして、腐臭ただよう臓腑をのぞきこむことだhttp://papuriko.hatenablog.com/entry/2015/03/30/120844

ちょっと似た話で、落ち込んだ時は自分の意のままにならない心に身を任せてとことん落ち込んでしまうのも手だと思っています。自分の解釈としては大した理由ではなく滅入った時は気分は2次関数、そこそこ理由があって鬱になった時はn次関数(nは3以上の自然数)の放物線を描くことが多い気がします。つまり、気分が滅入っても頂点やいくつかの変曲点を経験すれば自然と上がっていく。これは私がまだ真のどん底を経験していない甘ちゃんだという批判は多いに受け止めますが、あくまで体験ベースなのでごめんなさい。

 

・考えても仕方ないことは考えない

例えば誰かの恋人を好きになったらどうしようか。きっと土日家にいる時に彼女/彼氏とデートする姿を想像して胸を潰される気分になるのではないだろうか。

でもここで考えたいのは、想像して悲観したところで現実は改善するのか?
悲しい想像をしたところで現実が変わるくらいなら、世の中の妄想は夢の島でも街のゴミ処理場でも片付けられず道を埋めていることでしょう。自分がいくら何を考えても変わらない現実なら考えるだけ無駄で、自分自身の葬式をして無駄に消耗して可哀想な存在に貶めるくらいなら違うことを考えた方がマシです。そうは言っても思うようには行かなくとも、少なくとも四六時中亡霊に悩まされるよりはずっと自分を労わることと言えます。

余談ですが、最近読んだ本の中でタイトルがえっちいなと思ったのは辻仁成さんの『人は思い出にのみ嫉妬する』です。

 

・怒ることができている間は大丈夫

最近見た LINEの記事の『悩み事の9割は「うるせぇバカ」で解決する』は過激ながら言い得て妙だなと。朝から寝坊して満員電車でおじさんに足をガンガンに踏まれて職場で怒られまくる日、勝手に大人の一日を想像するだけで悲しくなってくる...うわ社会出たくない...

ただこの場合に限らず、対人関係で嫌なことがあった時など、「自分ばっかり不公平...」と鬱にならず「は????世界舐めてんの???」と怒れる自分に気付く瞬間、世界は結構明るくなります。怒るってエネルギー必要だし、自己肯定感が低い時には周りに怒るってあまりできない芸当だと思うので。芸当(ゲートー)だけにgate(ゲート)みたいな..........え!?!?!?

いいことがあった時にはその理由を自分自身に帰結させ、悪いことがあった時はそうはしない。この考え方ができないと鬱の素因となってしまうみたいです。(総合C系列・教臨心)

 

・人に過度に期待しない

めっちゃいい人だなと思ってた人が女性関係めちゃくちゃな話とか聞くと、これもうわかんないわー現世終了のお知らせーみたいな気分になることはあると思うのですが、他人に失望したりする時ってそれは少なからず期待をしていたからだと思う。

もちろんは人間は一人では生きていけないし、人間存在自体を信用しなければこの世に生を受けたことはあまりにも苦行と化してしまうけれど、やはり何事においても自分を最後に救えるのは意志の宿る身体を有する自分でしかない。ゆえにちょっと冷たいタイトルに聞こえるけど、自分自身が人生の舵取りをするぞ!という気持ちだけは揺らがすことなく、その上で完全ではない人間を愛していきたいものです。縋る相手と頼る相手の区別を付けたい。

 

・好きなものを増やす

大体自分の好きな友達には自分よりも"友達重要度ランク"が高そうな友達がもっと前からいますよね。ってか対人関係までスーパーの早売りみたいに早い者勝ちなのギルティよ!正々堂々と3位決定戦を一騎打ちで戦おうではないか!みたいな心境になることたまにありますよね(ならない?失礼しました...)でもそれは仕方がないことでもある。

これから新歓期で大事な友達が忙しそうであまり会えないとか、2Sが始まったら今までと違って息を吸うように人と会えないかもしれないとか。何だかんだ私は1年の時に二外の授業で会えていた同クラとか会う努力をしないと会えなくなるかもしれないことが寂しいと思っているのですが、大事なのは自分を支える軸がちゃんといくつもあった方がいい。

自分の関わる知り合いを増やす、好きなものを増やす、など軸が沢山あってその上で太い軸がいくつかあれば、軸が一本倒れてもそれほどぐらつくことはないのかなと。

ちなみに人間はずっとそばにはいてくれないけど、芸術とか書籍とか音楽とかとにかく人間の生み出したものたちはいつでも自分が望めば寄り添ってくれます。海とか空とか自然なんかは人間の意思によらずそれ単体で満ち引きしたり晴れたり曇ったりします(自然破壊とかはあると思うのですが...)その堂々とした様は憧れなので、人間も好きだけど私はそれらが好きです。

・食う寝る所に住むところ

若干逃げにも聞こえるけれど、寝るのは最高。というのは私がすぐ寝られる体質だからってのもありますが、寝てる時は何も考えない至上の時間で、しかも起きたら結構寝る前に考えてたことの殆どがどうでもよくなってる。大学でも気分が微妙だったら図書館でお昼寝するのめちゃおすすめ。物は盗られないように対策してね。

あとお風呂はいいです。大体怒ってる時とか「やば、今お風呂はいろ」と思って意図的に入浴してくるとお風呂から上がる頃にはそのことどうでもよくなるの神。お風呂最高!中目黒の「光明泉」で露天風呂で東京の漆黒の夜空を見上げるのは超オススメです。

美味しいものを食べるのもずっとアリだなと思ってたけど、結構気分が優れない時って美味しいものの味がわからなかったりお腹の調子まで狂う時、余裕である。この間失恋したての友達とたまたまその日に食べ歩きの予定してたら全然食べる気力すら湧かないみたいでわかるなあと。だから美味しいものとか非日常のものを食べるのはノーマルな気分をさらに上げたい時のことが多いかもしれない。

・打算的運命論者になる

 例えばお気に入りのイヤリングを深い水底に落としてしまった時、それでも世の中にはいくら割り切ろうと不如意なことで溢れているし、願い事が叶う魔法がこの世にあったらどんなに楽だろうと切に願うことは多い。あまりにも多すぎる。

でもそれが自分の努力や意思が何とかなるものではないなら私は諦めます。簡単に諦められないことも多いと思う。でも諦めることは逃げではないのだから、上のステップを全部踏んだ上でゆっくり自分の中で諦めをつけていきます。というのは私がちょっと運命論者みたいなところがあって、本当に縁のあるものなら長い人生何があるかわからないと都合よく思っているからかもしれないけれど。

未来は今の結果としてのみ生起するもので、長い目で見て結局どうなるか、何がよかったかなんて今の感情だけでは判断することは到底できない。それに私の持つ時間は限られている。だからその分今を生きることにします。

 

状態を幸せじゃない/普通/幸せの3つに分けるなら、正直普通のテンションの時は好きななこと何かやってれば簡単に幸せにはなれると思っている。ゆえに幸せじゃない時の舵取りをいかに上手くこなせるかが鍵になるとこあるなと。なんか新興宗教みたいなテンションになってきて恥ずかしいので思いついたら適宜加筆訂正します。Galileo Galileiの「夏空」はやっぱりいいですねー。