てふてふちゃん

なんか猫が寝言を言ってます

カッコイイ黒になろう

つい最近「黒は変化しない唯一の色である」との言葉をツイッタァで見かけた。ああ自分はちょっと主張があるけど嫌われることのない色を目指して結局ただの淡白色に成り下がっていたけど、本当は混じり気のない黒や赤になりたかったんだよなと思い返したら、冬の寒い日に目一杯外気を吸い込んだ時の胸の痛みに似た感覚を覚えたものでした。

よく「何者でもない自分になりたい」という切実な希求に対してその願いこそが没個性的でありお前は何者にもなれやしないのだという悪魔の囁きを目にするが、果たしてそうだろうか。「何者でもない自分」に対してその人がトンネルの向こうの微かな光を描出するグラデーションは十人十色で、そんなものになれやしないのかもしれないと心のどこかで思いつつも、それでも懸命に手を伸ばす生き様の人間らしさ。

つまるところ、私も愚直でもまっすぐな生き方がしたいと切に思うものです。申し訳ないけど私は人間らしく生きて、いいおばあちゃんになるよ。(ウインク)

 

秋は夕暮れ。

友達と会う時に何人くらいで会うかというのはかなり人によってバラつきがある気がします。私は旅行などを除いて、基本友達と会う時は2人きりを選択することが多いです。自分の話したいことを不消化なまま飲み込んだり、ただ周りに合わせて笑ったりという息詰まりが好きではなく、なるべくその人の話を聞いていたいから、大人数より2人きりの方がそれができる確率が高い。

 

だからAセメが始まった時に、とにかく人と「話す」機会が減ったような気がしてすごく寂しい気持ちになりました。二外の授業は一つ減ってSセメのように食堂でダベることが少なくなった、夏に毎日のように色んな友達と会って話をしていたのに比べて会う友達は限られるようになった。 

これに加えて、夏に課外でやっていたデータサイエンスの勉強に一旦区切りがつき、月末にあるインターンのマッチングイベントまで宙ぶらりんになってしまったこと。

幸せの私のひとつの定義である「"やりたいこと"と"やるべきこと"のバランスが黄金比に近い状態」からは程遠く、結構この時期は学校が始まったにも関わらず、「学校に人は沢山いるが私は寂しい」とか遅れてやって来た厨二病だZE☆みたいなことを割と真剣に考えていましたね。(ハロウィンにアフ6でディズニーに行ったetc.楽しいことは無論ありました)

 

とはいえ、完全に何もせずぼけーっと生きていた訳ではなく、この時期はWebアプリ制作のプロジェクトチームに入ってDjango掲示板アプリなどを実装したり、Linuxコマンドを動かしたり、ネットワークやTCP/IPの勉強をしたりしていました。ただ、好奇心から飛び込んでみたものの、自分の興味とはだいぶ逸れているとやっていくうちに思うようになり、これに関しては一切の結実を見ませんでした。

しかし、段々と将来を意識する中で「これこそが俺の生きる道だああ」と信じ込んで猪突猛進できないのならば、最初から「やりたいこと」を選ぶより「やりたくないこと」を切り捨てた方が明らかに手札は減り、選びやすくなる。その点において、自分にとって向いていないと思うものに時間を費やすことも徒労ではないと思うのです。

 

そうこうしていくうちに、10月末に11月末からのインターン先が決まりました(これに関しては後述します)。また、言語化できる気がしないので書くつもりはありませんが、少しだけ今までと違った色味を帯びる出来事がありました。やっぱり生活には変化が必要で、11月に入って一気に「うおおお世界楽しいじゃん」と歯車が噛み合って回転し始めたかのような眩さが訪れました。

Aセメの試験休みには同クラ3人で箱根女子旅を敢行し、色んな話(含み)をしたこと。富士急で某くんが怖がりなせいで戦慄迷宮に行けなかったこと。駒場祭でクラスでカルツォーネを売ったこと。朝5時から決して誇ることなく仕込みをしてくれた有志の人々の存在に感謝したこと。11月は青春の焼き直しのような鮮やかさを伴って思い出します。

 

冬は朝。

12月は最初の方にかなりしょげ返る出来事も多々あり、だいぶ自己肯定感も下がりああもう2018年オワオワリといった心境でしたが、思ったよりすごくいい月でした。特にこの月は人との出会いに恵まれた月で、イベントで知り合った人や去年からの知り合い、新しく「仲良くなりたい」と近づいてきてくれた友達、全ての人が自分にとって素敵な存在でした。コミュニティに捉われない人間関係の構築って、難しいながらもこれができるようになると老後でも友達が作れるんじゃないかな。

 

またクリスマスの足音が聞こえてくるようになり、「カッコイイクリぼっちになるぞおお」と決意し、狂ったようにエステに行きました。(かつてAKBが好きでも英世以上のお札は使わなかった私のポリシーとして、エステも友達の紹介やポイントが使えるところ以外はお金を投じてません。...貧乏性かよ...)

男性陣は想像がつきにくいかもしれませんが、フェイシャルエステとか眉毛サロン、まつげパーマ、ヘッドスパあたりは行ってみると世界が5°くらい変わります。ふつーにお金出したら高いんですが。また気分が塞ぐ時は背中が丸まりがちですが、そういう時こそ背筋をピンとしてまっすぐ歩くことで驚くほど周りの景色は色彩を伴って見えるようになるというのも最近会得したことです。

 

あと、思ったことは自分の意見だって臆せず言おうと思いました。淡い色って人気だけど、黒とか赤とかの根強い人気よ。何にせよ堂々としていることはカッコイイことなので、もっと堂々と自信を持っていこうと思いました。

 

取り組みについて

ちょっと読んでいて退屈かもしれない部分です。全然飛ばしてもらって大丈夫。

 

11月末から私はインターンを始めました。これに関しては「企業による学生の青田買いだろ」というような意見もありますが、個別指導やカテキョは高時給と引き換えに実生活に生きるものを得ている感覚が私はあまり得られていないということから、実務を触れられる上にお給料ももらえるというWin-Win感がいいと思うの。

しかし、しばらくの間ビジネスプランの構築などに携わっている間に、ふと「こっちの方が楽しくね..?」という念に駆られて来ました。最近自社用Macも新調して割り当ててもらい、Githubでコードを弄れる状況下になりましたが、心のどこかで自分はエンジニアとしてコードを書くことは本望ではないのかもしれないとも思っていました。

 

先述の通り、自分の将来を模索する上でとにかく面白いと思ったものには飛びついてみることは選択肢を広げる上で重要なのは自明で、同様に秋以降からFXのデモトレードを始めたり色々と手を出してきました。

しかし違うかもと思ったものは切り捨てることで自分の時間を他に充てることができるようになる。それはある意味、選択肢を広げることに繋がるでしょうし、どこかのタイミングで私はしばらくやってきたことをやめる必要があるとも思っています。ただ、これについては自分の能力が足りない段階でやめるのは言い訳でしかないとも思っている。難しい。

 

FXに関しては上クラの勉強会に混ぜて頂きそこでFXの利点や欠点を話し合った結果、割愛しますが実際のトレードはやらないことにしました。ただ、チャート分析など勉強することにはモノの見方という点で意義はあると思っています。その後、12月の様々な出会いのおかげで今は投資の方に目が向いている、という状況です。

 

美術や写真について。最近ではBunkamuraの「ロマンティックロシア」が良かった。美術も写真も私は風景を切り取ったものが好きなんですが、眺めているだけでまるで大地に立っているような、瑞々しい風を胸いっぱいに吸い込んでいるような五感に訴えかけてくる感覚が大好きなんだな。好きな風景は駒場の銀杏並木です。

あいにく美術の神様には愛されませんでしたが、写真は撮るのが好きなのでこの間とあるものに応募してみました。ちゃんと勉強してみたいなあ。来たる2019年は天文や楽器(オルガンなど)も突き詰めてみたい。

 

幸せについて

たぶんここまで読んでて「一貫性のない人間」だなと思われたかもしれません。私も自分のことをあなたと同じように思います。私の核はどこにあるんだろう。ただ一貫しているのは「幸せになりたい」、これ一択ですね(笑)

 

先日、友達のついっとでいたく同意したのが「これまでの経験上常に自分の上ばかり見てしまうけど、勉強で判断するステージはおわって次は幸せで判断するステージに立っている気がする最近、前よりもはるかにしんどさはある」

 

結果論とは言え、私は幼いながらにも「容姿の可愛い〇〇ちゃんには勝てないなあ」とか思うことが多くて、それでも努力さえすれば「勉強ができる」というひとつの個性が認められるという状況を愛し、東大に来ました。

 

でも東大に来た、すなわちその柵を越えてしまえばその中においてそれは「個性」でもなんでもない訳です。私は自己肯定感は決して高い方ではなくて、それは一浪したしずば抜けた頭脳も持っておらず大した才能もなく恋愛も上手くいかない私と現役で東大に入ってめちゃくちゃ賢くて才知に溢れていて好きな人に愛されている女の子じゃ雲泥の差だろうと思います。

 

ただ、「大した才能もない」と書いたけど私は「人間関係に恵まれる能力」と「愚直に足掻く能力」だけはあると思っていて、これはきっと今後の人生においても私の大切な軸となることでしょう。

 

小さい頃は「セーラームーンになりたい」とか言っても誰も笑わなかったし何にでもなれたのに、いつから何にもなれなくなってしまったのか?

私は自分はこれまでの人生において欲しいものは何でも手に入れて来たと思ってきました。でも違った。看護師さんにも、物書きにも、医者にもなれなかったし、私はもしかしたら何者にもなれないまま終わるかもしれない。けれど、私は誰よりも幸せになると決めているし、世界中の誰からも愛されなくたって私だけは私のことを好きでいられるように、私は自分の人生を豊かにするコンテンツとたくさん出会えるように色んなものに手を伸ばし、その中で運命的な出会いがあればいいななんて思うのです。

 

そしてきっとこれからだってこんなブログを書いたのに何千何百と同じようなことで延々と悩むだろうし、病むこともあるかもしれないけれど、やっぱり生きる姿勢だけは気持ちだけは真っ直ぐ体当たりでいきたいものです。

 

随分とおセンチな文章を書いてしまった(笑)

正直読んでいて脈絡なさすぎない?という心境の変化が多く見られますが、私の考えていたことの1mmもここには書ききれていないし、書きたいと思わないことも多かったので、吟味の足りない文章を発露することには躊躇はありました。ただ、要約すると言語化できないけれど全過程の中で出会えてよかったと思える人が多い。2018年、私と出会ってくれて心から皆さんありがとうございました!!

 

最後に2019年の抱負を!

・元手10万貯めて投資

・進学先や諸々の意思決定をもっとクリアに

・海外旅行及び色々なものを見る、聴く

・良質な出会いをもっと増やす

・もっと可愛くなる

・フローリングに布団引いて寝落ちしない

・オフトゥンと相思相愛の時間を減らす

 

 

...あれ?

 

 

 

春はあけぼの。

今上天皇は85歳で車のハンドルを手離されたようだけど、私はまだ免許をいつ取るかすら決めてません。こないだ社会人の方のお話で「まず日にちを決める。やるかやらないかを延々と考えている人はいつまでも行動しない。」と。そんなの当たり前なんだけど真ですね。虚を衝かれた思いです。質のいい人と出会える経験が踏めるというのはひとつ東大に来てよかったことです。

冒頭から薄っぺらい感想文でごめんなさい。2018年、皆さんは結構生きましたか?私は40%くらい生きたかなって感じです。気怠い話にお付き合い頂ける方は、眠れぬ夜の睡眠導入剤の代わりにして頂いた方がいいかもしれない。

 

春はあけぼの。

 キャンプラの場所をパンフレットの地図を読みながら探り探り見つけていた頃、懐かしい。目に映るものが鮮やかに見えていたので食堂のメニューがホテルビュッフェのような特別感を伴っていたあの頃です!私だけ?すみません、でも豚みそ焼肉丼と豚汁でブウブウ(ブイブイ)いわせるのも粋ってもんです。

......。

ただ完全に新鮮だったかというと必ずしも答えはYesではなく、というのも東大生の知り合いに聞いていた情報の追体験的要素は大きかったですね。かの逆評定ってこれか(ハリポタの"名前を言ってはいけないあの人"ボイス)、オリ合宿ってこれか、みたいな。WARRIORSのお兄さん方には駒場の裏のフレッシュネスバーガーに連れていって頂きましたがお元気ですか。あそこは財源がすごいな。

 

クラスについて

「楽単で楽しくてウェイすぎない言語」と友達の話を総合した結果、私は浪人生の頃からイタリア語にすると決めており、マイナー言語ゆえ自動的に文1,2_6組に配属されました。

 

クラス、皆さん楽しいですか?私は結構クラスの人たち好きです。これは彼らが読んでいることを恐れておべっか言ってる訳ではないです。まあ他クラスで盛り上がるようなクラコンやクリパは投票があまり入らない。私はクラスラインの投票機能を使う際の痛切な心の痛みをもって、他のコミュニティで投票が投げられたら必ず入れることを数少ない信条としています。やっぱり人間は経験しないとわからないこと、沢山あると思います(訳知り顔)

...脱線しました。ただ「全体」としての集まりは悪いが、個々に声をかけると必ず人は集まる。繋がり方が水素結合のように緩やかで、ある意味中高時代のような居心地の良さも覚えます。面白い人も実際多いです。降り長と化すオリ長、「死ぬの怖い?」が挨拶がわりの人、一食で雀卓広げる麻雀界隈、授業にいらっしゃらないのにたまに来る時最前に座るスポ愛○長様、ビジネススクールに傾倒し学校にいらっしゃらなくなった概念と化した人etc.

 

たまに「クラスなんてたった一年の付き合い」みたいな言い方をする人見かけますが、人間関係を一緒に過ごす時間が全てと思っているのだろうか。私はある種立体のようなものだと、つまり密度や奥行きも掛け合わさって中身は決まるのだと思ってやまない。完全体として愛することはできなくても、それでも私の1年を彩る存在として欠かすことのできないコミュニティです。是非受験生は下クラを真剣に検討してみて下さい。

 

そうそう。ここに溶け込むことができたのは高校同期や浪人の頃クラスが一緒だった友達がいたことが大きいですね。私は初対面や数回目の空間で喋れるかどうかは①人見知りを発揮する/しない雰囲気②関わりへの自分の潜在的な意思の強さのトータルに依存すると思っていて、その限りでオリ合宿で起きていた人たちで朝日を拝んだ時くらいからかなり帰属意識はありましたね。

 

オリ合宿に関して語りたいこと。パ長になったこと。これは単純にお店を選びたかっただけです。あと夜更かし魔のくせしてこれまで魔剤を飲んだことも完徹をしたこともなく、朝日を拝んで部屋に戻ると猛烈に眠気が襲って来まして、私と同名の女子が「徹夜明けは仮眠取らない方が気分ええで」と忠告をしてくれました。数秒後にご自身が入眠なさっていました。可愛いね。来年はみんな上クラとして夜明けは浜辺に行こうね。

 

こんな感じで大学はスタートしました。最初の2-3週間は四月病だったので本当に目を輝かせて授業に通っていました。朝は1限に遅れることはなかったので「法Ⅰは出なくなる」の意味がわからなかった。政治Ⅰはわからないが故に「大学の講義」感が好きだった。イタリア語は「Y」の読みが「イプスィロン」なのがジェネリック医薬品の名称みたいで好きだった。

ひとりごとを言うなら、ALESAは私のクラスの先生は優しかったので英語を指定語数だけ書けば単位が来たと思うと決してきつくはなかった。もちろん先生が厳しいクラスもあるので大声で言うつもりはないけれど、「ALESA辛い」「初ゼミ辛い」とは思わなかったと言う権利くらいはあってもいいかな。しかし高校の頃は毎日6時台に起きて学校に通っていたのに、予備校で「授業を切る」と言う概念を知り、大学は四月病が明けると...夢ならばどれほどよかったでしょう(cv. 米津玄師)

 

サークルについて

結構新歓行ったんですよね。週に何回も知らない飲食店で「どこのクラス?」「言語は何?」「女子はクラスに何人?」を定型文としてテンプレートのように発し、ひょっとしたらもう会わないかもしれない子とLINEを交換する新歓。嫌いじゃないけどあの時期の口と心の疲弊はなかなかに大きかったというのが実情ではないでしょうか。結構行ったけれど結局私は「体を動かしたい」一択で学内のバドミントンサークルにだけ入りました。

 

みんなはサークルをどう位置付けますか?つくづく感じているのは、私は中高時代は文化部の部長だったけれど特に忙しくもなく、土日や平日の夜はバイトなどに侵食されず好きなように過ごしたい、となるとこのくらいのウェイトが性に合っているのかもしれないなと。と同時に私には確かに友達がいる。けれど、兼サーしている子は特にサークルでどんどんコミュニティを拡大していくことへの若干の焦燥感と寂しさ、「誰かと何かを創る」「身を焦がす」といった経験への恋い焦がれが今になって膨張しています。結局私がひとつしか入らなかったのは、「ここじゃない」と思った時に抜けるという引き際を見つけるのが自分自身苦手だと自負していたこと、「好きだけど得意とは胸を張って言えない」という分野に突っ込むことを恐れた、それだけのためだったので。

 

ちなみに他のコミュニティも求めている人は駒場祭のパンフレットでも見てみることを推奨します。「こんなサークルあるの?」みたいな団体ザラにあるし、気になったらTwitterのアカウントなど検索かけて凸ってみよう。私は今入っているところの他にオルガンなり天文なりに興味を持ちました。確かに年中新歓を行なっている団体は少ないかもしれないけれど、門戸を叩けば開くところは存在するし、何かを始まるのに「遅すぎる」と言うことは邪道だと思うの。

 

*もしこれを読んでいて「うちのサークル面白いよ!」みたいなところがあれば是非ご一報ください。

 

高校の文化祭は模擬店すらほぼ禁じ手のような楽しいけれど「文化祭」ではないおまつりだったので、五月祭はクラスでワッフルを販売し、テント張りをした前日の夜なんか青春を焼き直したような感慨を覚えたものでした。学食に同クラと座ることは無限に楽しかった。空きコマにカラオケに行くフットワークの軽さに「大学生」めいた何かを感じて高揚した。あ、そう言えば「GWが明けたら」「五月祭が終わったら」「6月に入ったら」と言われ続け、結局人が学食から人が減ることはあったようななかったような...(消えゆく声)

 

こうして私は東京大学に徐々に溶け込み、7月に入りセミがミンミンなく頃ようやく去年友達が言っていた「駒場図書館は暑い」の真の意味を理解し、テストもかき集めたシケプリと法・政治のシケ対という自負をもって乗り切りました。春はせいぜいコミュ力に対する耐性が若干ついたくらいで精神的に得たものは少なかった...ただただ無心に駒場の風景と出会った人間を愛おしんでいたくらいでしょうか。

 

進振りについて

春にこの大学の正門をくぐった時には「理転するぞおお」なんて意気込んでいました。いや、行きたい進学先明確に浮かんでなかったけど!自分の将来が不透明だからこそなるべく進振りで有利になるように文Ⅰに来た面も否めなかったので、「なんかビッグなことしたい」とか三月病発症していました。でも具体的には私は都市の景観に関心があったので社基Cとか面白そうとは思っていました...ただ点が足りな(ry

現状としては、Aセメから法学部内定した高校同期と法学部の経済学基礎の授業に潜ったところ、「さして経済で数字を扱うのは好きではない」という気付きからその選択肢はほぼ消えかけ、後述する自分の現状との関連でシス創Cなど関心があることはあるが果たしていわゆる「理系」に進むことで自分が頭角を示せることはほぼないのではないかという思いから、なんだかんだ法学部に進むのが丸い気がしています。

 

大学に入って始めたこと

第一に語るならバイトですかね。軸となっているのは個別指導、それに家庭教師やら何やらをしたことがあるという感じ。私の基本マインドとして予定は空いていれば断らず入れる、「お金がない時は遊べない」というより「お金がないなら生めばいいじゃない」という現代に生きるマリーアントワネットなもので、夏に旅行やらご飯やらに行きまくるために結構バイトしました。

ちなみに、よく「お金が欲しい」と言う東大生は、家庭教師や塾講といった教育系バイトの他に陽の当たらなそうなバイトや虚無そうな単発バイトのサイトを覗いてみると社会がいかに思った以上に人力で動いているか肌身で感じるのではないかとも思っている。人間はきっとドン底の状態でも何らかの蜘蛛の糸を見つける能力があれば這い上がって来れるんじゃないかしら。

とはいえ私は上で述べたように平日の夜や土日がバイトに侵食されるのが好きでないので、ひとつ今現在バイト同様にお金が入ることとして、Aセメの頭の履修登録で作りこんだ力作の週2の午前休と週1の午後休でインターンをしています。これは私なりの生存戦略の一つです。

 

あとはデータサイエンスとか。

文系で優秀な人は山ほどいますが私は凡庸な方だと自認しており、何か人と違う武器が欲しいと思い、"とりあえず"Progateに課金してPythonやHTML&CSSを独学で学習し始めました。特にプログラミングで何がしたいとかはなくこの時点では手段を目的と履き違えた自己満足でしたが、「とりあえず始めること」は何かを手繰り寄せることが時にあると感じます。これについては後述します。

 

留学について。入った当初から国外との繋がりというものに仄かな憧れはあったので、国際系サークルの合同新歓や東大留学フェアに顔を出したり、シラバスの国際研修のページを熟読したりIELTSの受験を考えたりしたのですが、半分しっくり来ず半分決断できずに今に至るという感じ。数週間のサマープロジェクトくらいでも行ってみたらいいのに。決められない人間はいつまでも決められないと思うので、これについてもいずれのタイミングでいつ行くのかを決めないと棒に振ることにはなるでしょう。

 

夏は夜。

すごく幸せでしたね。「幸せ」を測る基準は人によって違うと思いますが、私の定義のひとつとしては"やるべきこと"と"やりたいこと"のバランスが黄金比に近い状態であることを指します。

 

とにかく色んな人...大学の友達、高校同期、浪人の頃の友達、小学校の友達、 ありとあらゆる人と旧交を温めました。殊に最近思うのが、人間関係の「断捨離」って言葉がありますが、本当に必要な縁は必ず再び巡ってくるのではないかと。人間ってどこで人生が交錯するかわからない、必要になるかわからない、だからこそ沢山の縁は財産として持っておくことは計算であっても心の問題であっても大切なんじゃないかなあ。

あと旅行ですね。清里、岐阜、名古屋、金沢、福島、日光...場所自体は日本すら離れていないのですが、「自分の稼いだお金で自分の届く世界を拡張している」というプラネタリウムの天球に手を伸ばす時のような実感を伴うものでした。

 

と同時に、まずは空白の1年間によって完全に失われてしまった読書習慣を取り戻すべく、しっかり本を読むようになりました。本を読んでいる時は他のことに意識が向かなくなるので自分の時間の使い方として好きですね。あと美術や写真といった分野には前から関心があり、展覧会などもリサーチをかけるようになりました。

そして前述の通り春以降、訳もわからずPythonをやってましたが、東大や早慶東工大の人なんかが集う団体で機械学習など流行りのデータサイエンスをやる機会に恵まれました。遊ぶ合間に時間を縫って教材の勉強をしたり、Qiitaに記事を投稿したり、Kaggleをやったり、なんかあの「パラメータを弄ったり学習方法を変えていかに精度を上げるか」みたいな頭脳戦感が好きです(小並感)

ここで2ヶ月やって「データサイエンスは好きだけど、AtCoderとか競プロの類は向いてないし進むべきではない」という選択肢の切り捨てをし、前者でコードを書けるところでインターンを始めました。が、この道の取捨選択に関してはまた書きたいと思っています。

 

いずれにせよ春は穏やかかつ新鮮に、夏は眩しく過ぎていきました。読み返してあまり面白くないのが率直な感想ですが、この時期は昨年のように「人生とは何か」など自分の中で思考することが減り、ただただ無心に目の前のことを享受していたからでしょう。やっぱり話が長すぎるのは自分の欠点ですね、秋以降のことは年内に記したいと思っています(願望)(悲願)

 

Anniversary Year

最近某青い鳥アプリで「#いいねの数だけ一年を振り返る」みたいなタグ流行ってるじゃないですか、あれ無茶だと思うんですよ。私の一年間は連続体であって易々と月単位で区切れるもんじゃないし、ひいては去年から脈々と続いてる訳です。確かに「○月×日に誰々とディズニーランドに行った」という事象はその月に起きてるけど、私の喜怒哀楽や思考の変容は簡単にそんな140文字で語られてたまるかよって2018年12月さんとかも思ってると思います。

 

でもあのタグやりたさもあって、同時に私はすごく文章を書くことが好きだった。だからいつか未来の自分が見返した時に過去の自分と遭遇できるように、きっと後から振り返って眩い思い出として対峙するであろうこの一年のことを形として残しておきたいと思いました。

その前に、自分にとってあんなにエモい年だった2017年は今やもう「懐かしい」対象へと変わってしまい、数年後には思い出せなくなってしまうかもしれないけれど、それでも去年という一年が私に及ぼしたものは計り知れないのでしばし大切な浪人時代を供養させてください。

 

*去年の私に関してはTwitterで存在を知ってくれていた人もいたと思います。あと実はかつて別のところでブログを書いたことがあって、同クラも2人ほど彼らが現役生だった頃に不合格体験記を読んでくれていたようです。謝謝。

あと、最近なんか東大生が書く受験に対する目線のブログがよくバズってるように思いますが、私は私が感じていたことを丁寧に残しておきたいと思っただけで受験に対して何か物申したいみたいな感情は皆無です。寧ろトータルで見たら幸せな環境だったと思っているので、そんな感情毛頭ないです。おばあちゃんがなんか昔話してんな、くらいの感覚でお付き合い頂けたら嬉しいです。

 

2016年について

きっと夢見るアドレセンスだったのでしょう。

 

結構KAT-TUNもびっくりの「ギリギリでいつも生きていたいからぁ〜」精神はあるので、小6の夏はDSの「大人の脳トレ」の細菌撲滅ゲームに精を出してクラスを落としたり(好きなことには熱中するタイプなので何十面まで攻略したことか)中3冬に手に入れたiPhoneで遊びすぎて成績が地盤沈下したこともありましたが、そもそも15-7の計算が出来なくて障害物競走で最下位になった小学生の頃から、なまじ中学受験もそれ以降の学校生活もなんとか箸だか棒だか引っかかってきたので「自分は最終的になんとかなるセンスがあるんじゃないか」なんて驕り、正直心の奥底であったんだろうなと。

 

でも今思い返すとあんまり記憶が残っていないあたり、たぶん順当に受験生をやってたのでしょう。で、模試も上手くいかないことは多かったけどセンターも9割で「ああやっぱ最後には帳尻を合わせられる人間かな」と確信して堂々と駒場の正門をくぐり、数学であっさりと沈没しました。タイタニック号も顔負けです。2日目の入試の後、高校同期と道玄坂のガストで死んだ目で例年の合格最低点をggり、その後合流した親と行った焼肉はナムルしか喉を通りませんでした。

「でもハッピーエンドを描けるだろう」と胃は痛むものの期待のこもった2週間を送った後、私の仄かな思いは敢えなく打ち砕かれました。エンダァァイヤァ I always love u...343.7点。文Ⅱに数点届きませんでした。(数学が29点だったんですね。あばばばばば。)

 

ここで一つ得た気付きは、どうやら人間は本当に辛い時はすぐに事実を咀嚼できないものらしい。

合格発表の夜、「いや〜今年はTOEICとか受けながらやっていきたいなあ*」と絞り出して親に「本当に悔しいならそういうこと言えないだろっ」と怒られたけど実感は湧かず、翌日とりあえず勉強するかと机に向かった時に初めてボロボロ涙が出てきましたね。

え、まじか。また今年も勉強するのか。

 

*TOEICは去年も今年もまだ受けてません、すみません、勉強します(迫真)

 

恵まれた環境下で一つの「負け」を認めること、所詮自分は「持っている」人間ではないのだと認識すること、私のように難儀する人も決して少なくはないのではないだろうか。

晴れて大学生になった(特に東大生になった)友達と自分のコントラストを思う度、段々とかつて周りにいた人たちと世界が隔たっていくことを認識する度、夏前くらいまで幾度となく身を切られる思いがしたのを克明に覚えています。水族館でガラス越しに魚たちを眺めることはできても、そのガラスの向こうに行くことはできないのだと。

小学校の徒競走でゴール直前で1位だと思って万歳してゴールしたら最後の最後で抜かされた、あのこっぱずかしい経験(いや、ほんとに恥ずかしいんですよあれ)から何ひとつ変わっていない。あと数点は確実に自分の中で足りなかったもの何かの現れなのではないかと。こんな感じで忸怩たる病みと共に私は予備校の門戸を叩くこととなりました。足取りが重かった、瞼が重かった。

 

2017年春

そんなこんなで私は「建物が綺麗だから」「模試は駿台より好きだから」というだけ理由で河合本郷の東大文類アドバンスコースに入りました。実際いい環境でした。

 

予備校、最初は怖かったですねえ。

余談ですが、私が中高を通して好きだったところは大多数の人はいい意味で他人に関心がないのでストレスが少なかったことです。それが予備校に行ったら男子校、女子校、共学、学校の色もバラバラな人たちが集って、女の子は化粧やら何やら上手い子が多い、知らない間にくっついたり離れてたり、なんだか内部対立しかけのクラスもある。

世間とかいうところ、恐ろしくて出られん(田舎っぺボイス)

 

この頃は最初のマーク模試で爆死してメンタルが壊れたり、予備校の空気に慣れるのに必死だし、Twitterのタイムラインを見てたらみんなが「ALESA辛い*」だのなんだの知らない話をしていて鬱になったり、第一次拗らせ期だったと思います。 

でも仕方なくないですか??よく「頑張ってるのに報われない」っていうけど、だって自分が結果を出さなければ認められない世界で結果を出すことを決意したんだからそれなら頑張り方を考えるしかないんですよ。どんなに足掻いても時間の進み方は変わらなくて、2017年春夏秋冬は受験生として過ごすしかないのです。

それからというもの、受験勉強というものが育成ゲームのように思えて段々と愛おしく感じるようになりました。毎日予定を切り刻んで、何を使ってどうコスパよく成績を上げていくか。成績や生活が落ち着いてくるに伴って精神も段々と落ち着いてきました。病気〜!(cv. IKKO)

 

*浪人してよかったこと〜!よく5月頃「大学がつまらない」とか諸々の不満を見かけたものですが、大学生のツイートを見ていたことで大学という未知なるものに過度な期待は抱かなかったこと。大学の授業は必ずしも面白いものとは限らないらしいetc.、予めわかっていることは容易に対応できたし、それ以外の部分に楽しみを見出せたのはサンプルがあったから。ちなみにALESAは指定文字数だけ英語を書けば単位が来ると考えればそんなに辛くなかったと思っている。

 

この頃、一つの契機として五月祭に行ったことが挙げられます。見知った顔を見かけることで自分のメンタルの持ちようがどうなるか不安だったのですが、結果として行ってよかったと思います。ご馳走してくれた皆さん、Grazie!

模試の第一志望の欄に初めて「東京大学文科一類」と書いたのはこの翌日の記述模試のことでした。*

*これは単純に「文Ⅱに振られたから来年は文Ⅰと付き合いたい」というだけの思考で、「文Ⅰに行って脱法する」込みの目標でした。脱法するかはわからないけど、法律に関する職に携わるつもりは今のところありません。

 

2017年夏

突然ですが、私の嫌いなものに暑さと満員電車、同じ場所で長い時間缶詰になることが挙げられます。これが合わさった夏は最悪です。ということでしばしば、朝は朝日に感謝して目覚め、途中で満員電車を抜け出して麻布十番のマックでコーヒーと共に勉強し、昼は日常に感謝して予備校に行き、夜は一日に感謝して寝床につく生活を送ったりもしました。

 

暑い夏、不思議と苦ではなかったです。夏になって益々旅行とか遊びに精を出す大学生が羨ましくて死にそうで、でも模試の前に仲の良かった女の子たちとラウンジで将来の話を真剣に語り合ったり、高校同期と下北沢にかき氷を食べに行ったり、海を見に行ったり、私は私なりの夏を送りました。オープンはスコーン!と外したものの、実戦では英語が100点近く取れましたし、前期のスカラシップ対象者にもなりました。

 

スカラシップに関しては、実際そんなに感動するほどの額が返ってくる訳ではありません。ただ、投資をしてくれている親に対して何かしらのリターンが出来ることが嬉しかった。地方公立から塾通いをほとんどせず東大に来る人も一定数はいる中で、私のような人はかなり多いとはいえ、中学受験で一応塾に通い私立中高一貫校に入り鉄緑会に通い予備校にも通うというのは費用対効果を考えると燃費は悪いというのはこちらとて重々承知しているので。

決して器用な人間でも能力が高い訳でもないけれど、私はここに来たいと思って投資してもらって、だからこそリターンがしたかったからここに来るしかなかったとも言えます。

 

こうして成績もメンタルも安定していったような錯覚を覚えていました。

 

2017年秋

そもそも夏だとか秋だとかそういう区切りで何か変化があった訳ではなく、正直うまい接続詞が見つからんのですが、いずれにせよ一番秋が辛くて同時に幸せだった。そもそも「辛い」とか「幸せ」とか棒があるかないかの違いなのである意味紙一重なんじゃないかしら。

 

段々寒くなってきました。突然ですが、私が浪人生になった時に一つ決めていたのは「絶対恋愛しない」ということでした。

あくまでこれは一年の目標は東大に合格することだと思った以上、もし落ちた時に直接的な原因ではないにせよちらっとでも脳裏を掠めるならそんなポテンシャルのある要因は予め取り除いた方が合理的だと「私は」判断したからです。

まあ実際はオシャレもメイクも頑張るつもりがなかったので、ひたすら教室前方左側に張り付くお芋さん以上でも以下の存在でもなかったのですが(震え声)

 

でも寒くなってきたら人肌恋しくなりますよね。予備校にも「あれ?」みたいな二人組(別名カップルともいう)がなんだか増えた気がする訳です。高校の文化祭に行ったら大学生の恋愛事情なんか聞いちゃって、あーみんな自分より先に進んでくんだなとか、楽しそうに友達は意中の男の子と二人で帰ったりしてる中でなんで孤独に勉強してひとりで帰ってるんだろう自分は、とか。

今思うとくだらなくて笑えるんですけど、でもメンタルってそうやってひとつボタンを掛け違えることで狂ってくもんだと私は思っているのであんまり笑わないであげて欲しいです。

 

孤独で死にそうなんて地下牢(地下自習室ともいう)で音楽を聴きながらボロボロ泣けてきたり(今の私しか知らない人からしたらこの頃毎日泣きながら勉強してたなんて思わないだろうけど)、「とりあえず勉強で頭をいっぱいにしよう」と1日14時間勉強したり、「自分は幸せなんだ」って思い込むために、日曜早退けして羽田に飛行機を見に行ったり、美術館に行ったり、美味しいものを食べて帰ったりしました。休憩に音楽を聴いて延々と考え事をしてラクーアを周回したり。

すごく誰かに認めて欲しくて、でも自分自身にしかできないことだともわかっていて、そしてそれはしないと自分が決めたことだった。だからまたオープンは爆ぜても実戦であんなに芽の出なかった数学で全国10位を取ったことで惨めだった秋が救われた気分になりました。駿茶から水道橋まで坂を降りていた時のうららかな秋の日差しと脳内を流れる賛美歌はこびりついて忘れない思い出。アーメン。

 

こんな風に外に出るのも億劫な冷たい風に吹かれ、予備校の授業も終わっていく頃、私のドン底のメンタルは凍えそうな外の寒さと対照的にトンネルの先の光に向かって駆けていきました。イルミネーションもよく予備校帰りにふらっと途中下車して見に行きましたね〜。

 

2018年冬

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年明けに行った湯島天神は絵馬に描いた「センター利用で私立合格」を一切叶えてはくれませんでしたし、なんなら浪人しても私のセンターの点数は現役の頃と一切変わらない、清々しい安心安全の808点でした。

うーんでもなんだろう。私はそれでもいいと思ったし、毎日の中にいきなり「入試本番」とかいうそびえ立つ高い壁が出現するのではなく、毎日の延長上に入試があるのだと思っていたのでこの事実は単に「入試本番という名の演習教材でちょっとミスった」くらいの擦りしかありませんでした。流石に代々木のタリーズで自己採点しながら真顔になりましたけど。

 

二次試験まで概ね毎日数学と英語のセットを解き、なんなら慶應商学部と経済学部の2月13日・14日の試験の連チャンの間も、休み時間は散歩魔を発揮してまいばすけっと(はぁ〜すこです)に買い物に行きつつせっせと試験会場で東大の赤本を広げました。イキってた訳じゃないです。

別に入試本番だって特別なことをしに行く訳じゃない。いつもと同じセット演習を今日は違う場所でやるだけだって感覚を醸成したかったから、私は毎日同じルーティーンを他大の入試の日も組みました。あー終わりが近いなって終点を意識する度、出会う問題が、向き合う日々がたまらなく愛おしくて一番幸せな時間だったと胸を張って言えます。

 

そうして私は2月25日・26日の両日ともに東大駒場キャンパスに”いつもと同じように””東大型セット”を解きに来て、休み時間は当時ハマっていた将棋をやって「あ、ちょっと緊張してんな」なんて言ってコンビニで買ってきたパンダもちを呑気に写真に撮ってパクついて、英語が終わった瞬間に安堵と共に「浪人生」という看板を下ろしました。閉店ガラガラー。

英語ができたとかできなかったとか関係なく(G2ライン+1点という並の点でした)やれることはやったので何とかなるだろうと、本当に英語が終わった瞬間の開放感は何事にも代えがたく、自己採点はせずに前日はカラオケでレミオロメンの「3月9日」を熱唱し、3月10日を迎えました。

当日はネットで見ていたのですがちょっと今年は番号が出るのが早くて11時45分くらいにいきなり出てきて(語彙ry)番号を最初勘違いしてて焦りました。(これだから浪人は)

でも番号がちゃんと見つかっても、高校の先生や祖父母に電話しても、河合本郷で写真撮影をしても、本郷キャンパスに行っても、あまり実感が湧きませんでしたねえ。Twitterで合格ツイートが1000ふぁぼも来たのはちょっとビックリして知らない人からも祝われた!と内心喜んだりはしましたが。

ひと段落ついて手続きで「東京大学」の文字が刻印されたパンフレットをドサドサもらって、二外はイタ語にしようかなとほのぼの考えてた時にようやく大学生になれるんだなと胸いっぱいに感激が広がりました。おわり。

 

さいごに

ここまで読んでくれた方は相当な物好きだと思いますが、物好きの方ならきっとお感じの通り、模試がどうだとかどれくらい勉強したかとかなるべく記述を避けてきました。

あまりにも冗長になってしまうことを危惧したのと、どれくらい勉強したかなんてそんな努力は自分だけがわかっていたらもう十分です。十分だと思うし、自分自身がそれに静謐な誇りを抱いているのでここに記すことはありません。

楽しい記憶をいっぱい洗い出しましたが、その裏には地道な日々がありました。メカのパフォーマンスの裏でコードを書くのと同じです。結構ON/OFFの切り替えや自分のメンタル管理は非常に去年一年で上手くなったと思います。

 

そして、月並みに聞こえますが感謝してもし足りない人たちにたくさん出会えました。きこえますか...第一にサポートしてくれた両親、予備校で共に切磋琢磨した友達(女の子もだし、お芋さんでしたが大事な男友達もちゃんとできました!)、礫川公園で寒空の下語り合った友達、離れていても応援してくれた友達、教材を渡しに来てくれた人etc. 皆に出会えて私は幸せでした。

浪人時代に知り合った友人はやっぱり戦友のような特別な感慨を伴って思い出されますね。鮮やかに。

 

で、本当はもっとくどいとんこつ味に仕上げたかったのですが、結果としてあっさり塩味ベースになりました。(そうなんです!)

うん、これも同じ理由で私がどれくらい「幸せってなんだろう」とか「どうして報われないんだろう」とか取り止めもないことを考え、悩み、この一年を愛おしんだかとか、一週間の締めに食べるアイスが美味しかったかとか、日の差し込むスカイラウンジでポカポカするのが気持ちよかったかとか、きっと私にしかわからないし、わからなくていいかな〜なんて書きながら思っていました。当時は辛いけど振り返るとこんなにいい思い出になる、すんごく人生において何物にも代えがたいモラトリアムの一年でしたよ。浪人はいいぞ〜なんつって。

 

何はともあれここに今の私は爆誕し、晴れて東大生になりました。一年間の眠りを経てお誕生日おめでとうございます。