てふてふちゃん

なんか猫が寝言を言ってます

ダイイングメッセージ

旅路に備えて買ったお弁当と去ってゆく友人から餞別にもらった三島由紀夫の『春の雪』を搭乗ゲートのそばに置き忘れ、アナウンスに気付かず離陸する。

...。

正直ああまたかと。いつも何か一つだけ足りない自分のままで残りの人生を生きてゆくのだろうかと思うとうんざりする。

読もうと思っていた小説が一冊手元にないのでその分旅路で頭に浮かんだことたちを取り留めもなく書き殴っていこうと思います。皮肉にも海と陸と空のコントラストが鮮やかで、こんな景色はなかなか見られないだろうなと惚れ入る絶好の旅日和でした。見て欲しいんだ〜。

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・もしも飛行機が墜ちたら

朝起きた時なぜか真っ先に頭に浮かんでブルーになったこと。"もしも飛行機が墜ちたら自分は誰に最後のメッセージを送るのか?"

飛行機ね、確率的に墜ちると思ってないです。それでも墜ちる時は墜ちるんでしょうけど、身近な人にせよ一方的な認知にせよ同年代で亡くなった人はこの一年でも春休み中でも割といるので死は不意に訪れるものでしょう。知り合いが亡くなろうが自分が死のうが驚くことではない。それに死ぬこと自体は私は怖くないです。

 

難しいな。「死ぬこと自体が怖い」というのは語弊がある。私が怖いのは意識を失うまでの身体的苦痛、フィギュアスケートの演技の途中で音楽が止まるように人生という舞台を病死以外の人為的理由で降板させられる無念、死後人々の記憶から自分の存在が徐々に消えていくという自力で抗えない事実、主にこの3つです。

 

それらに不意打ちで新しい恐怖が晴れて仲間入りしました。題して"急死が目の前に差し掛かった時に、最後のメッセージを送る相手を選べない自分に対する恐怖"です。おめでとうございます。

やっぱり生んで育ててくれた両親に感謝の意でも述べるべきですか?感謝の意を今さら述べてどうするの?だって死んじゃうんですよ。両親の慰めにはなるけど慰めじゃん。感謝の意は言わないと伝わらない?じゃあ両親じゃないなら大事な友達?恋人がいたら恋人?恋人って一過性の関係かもしれないから危険だよね。しかもこの人たちが死ぬ時は自分にはメッセージをくれない可能性は極めて高い。この非対称性ズルいよな。

考える時間がコンマ数秒しかなかったら?

.....

...

LINE開いていちばん上にトークがある人にとりあえずこれから死ぬという事実を送ってしまうかもしれない。

何が怖いって死に際して限られた時間で最後のメッセージを送る相手を選べない中途半端な人間関係しか築けなかった自分に失望すること。そしてまず「メッセージを誰にも送らない」という選択肢が欠落しがちな人間という存在、哀しいなあ。みんなもシュミレーションしとこうよ。

あ、あと私自身は六条御息所みたいなところがあるので少なくとも生き霊としては枕元に立ちたい人間が何人かいてもそれは不可能になるということが悔しいかもしれない。悔しい...ですよね?(櫻井くん風)

冗談です嘘。たぶん。

 

・空港の場所性

空港が好きという話はしました。年に何回かは用がないのに展望デッキに行きます。でも私が飛行機に乗ったのはラスベガスのカジノ(※年齢制限あり)に無邪気に立ち入ってコワモテの黒人警備員さんに超怒られてるのに「OK!」とニコニコ反応してた高1以来だったのでした。

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どこやねんここ。

しげしげと見ると羽田空港は様変わりしていました。手荷物預かりカウンターに人がおらず、機械が危険物の有無をレーダーでウユーンと確かめウィーンガシャンと荷物を格納しているのを見た時は宇宙旅行に行く気持ちになって興奮しましたね。子供かよ。

空港とかいう場所、しかしながらどんなに人工的になっても中身は変わらない。出張に行くサラリーマン、「一人旅なんですが」と空港係員に尋ねる小学生くらいの少年、私と同い年くらいの女子三人衆、飛び立つ人間にはそれぞれの心情や背景があり、それらを「ANA〇〇便」などというパッケージで内包して淡々と送り出していく空港、無言でロマンを背負う姿は偉大じゃないか。

 

最近ね、好きなことがわかってきました。身にもならない文章を書くこと、人の書いた荒削りの文章を読むこと、旅程なり美味しいお店なりの最適解を模索する過程、新しい場所を開拓すること、一瞬を削り取ること、、

そんなことを一切関係もない線形代数やら機械学習なんかをやりながら、何とか将来も好きなことを生きる術としてやる方法はないかな〜wなどとぼんやりと考えているのです。

 

ちなみに2Sは必修が外れたのをいいことに好きな授業を取り、自分の勉強をし、車校に行き、バイトをし、文章を書き、楽器をやり、旅行をし、好きなように生きていきますとここに宣言します。自分の生活の充実の上にプライベートは乗っかるので、これらが出来れば対人関係全般きっと上手くいく、はず。

 

・星屑にもなれやしないのだから

どこのバイキングに行ってもカレーを食べる、でも北海道に来たのにカニを食べないことに罪悪感を覚えてカニも食べる、ビンゴ大会で狙っていたくまとミニオンのぬいぐるみがイカ東ぽいお兄さんと可愛い女の子に取られたのが悔しくて泣きそうになる、勉強は並にやって並の成績を取り、人と違うことがしたいと言っても人の作った道筋しか辿れない、美術や音楽センスに恵まれていなければ鋭利な文章を綴る才能もない。

 

「善く生きる」ってまず善とはなんぞやという話になってしまうけれど、ひとつ思うのが感情を認めないと話にならない。私は「負けた」と思う相手には嫉妬するし、好きなものもあれば嫌いなもの、不快なものも多い。

ただこれを認めないで理屈をこねくり回すから自由になれない。嫌いな人がいても「嫌い」なんて言葉は辞書にはないかのように自分を騙し込むのと嫌いだという感情を認めた上で取り繕うことは表面上同じでも踏むプロセスは違う。私は後者でありたいと思っています。性格が悪いよね(笑)

凡人という言葉に逃げる凡人は結局他の誰でもない自分とやらにも星屑にもなれないけれど、等身大の自分を遺すことはできる。私は凡人として嫌いなものを嫌い、人の感性に反吐が出そうなくらい嫉妬しながら数センチくらいのヒールを履いたように少し背伸びをして今日も生きています。

 

・自分の強みについて

自分の容姿に全く自信はないけれど、自信があるパーツはあります。毛です。眉と真っ黒な髪です。

眉はチャチャッと美容院で揃えてもらいますが自眉の毛並みには満足しています。髪は染めてみたいけど、みんなと同じように染めたら私のロングの漆黒の髪というアイデンティティがなくなるんじゃなかろうかと踏み出せず、時々ヘッドスパでバイト帰りなんかに艶々にして帰宅しています。

大学に入って歯科矯正を始めました。コンタクトにしたし、脱毛やエステも探すし、まつげパーマもかけた。ダイエットは人生で123456回くらい試みています。

※いや、これでも人生の†最盛期†の高3よりはマシなんですが、最近身体を動かすことは正義だと7723周回って痛感しているので誰か本郷キャンパスの御殿下ジムでも年パス(9000yen)買って一緒に通おう。割とマジメに募集したい。

 

頑張れる部分は頑張りたいと思っている。イメチェンしたいと話すと「髪染めたら?」とほぼ口を揃えて言われるけれど、そうだよね、視覚的にいちばん変われるパーツはそこだもん。

でもみんなが同じだったらつまらなくないですか。みんなが流行りの眉毛・髪型にして二重にして"垢抜けよう"としても土台が違うからいちばんにはなれない、埋もれるだけ、だったら私は"埋もれる"努力をしつつ自分の勝負できる部分は自信をもって生きたい。動物なので毛繕いだけはしっかりとやっていきたいという話です。

 

取り留めもない旅路の思考、もう少しゆっくり書こうと思ったけど私はまだ最後のメッセージを誰かに伝えるのか・伝えるとしたら誰なのか決めかねているので、せめて今日という日まで生きた証として今宵もダイイングメッセージのブログを置いておきます。

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3月の富良野はまだまだ一面銀世界でした。脚本家の倉本聰氏の点描画が飾ってあったのですが、違う種類の木の梢が寄り添う絵に「不倫」という言葉が添えられていて痺れました。えっちすぎた。ラベンダーの季節の富良野にも行きたいですね。